せき止められていた川の水が開放された時のように、思いは、一瞬で加速する。

 荒れた濁流が清流を巻き込むように、心は、ほんの一瞬で崩壊する。



 鐘が鳴ったら、君は素敵なドレスを着るのかな?

 それとも赤い靴を履いて、いつまでも踊り続けるのかい?





 11.The bell of destruction and collapse.





「・・・あれ・・・?」

 が目を覚ますと、そこは深紅のソファの上だった。

 ゆっくり起き上がり、周りを見る。

 火の粉のはじける音がする。

 どうやら、グリフィンドールの談話室のようだ。

 暖炉前の椅子の上で、何かが動く気配。

 黒猫がしなやかに絨毯に降り立った。

 軽く駆け、こちらにやってくる。

 カレッジは、ぴょんとソファに飛び乗った。

「もう平気か?」

「うん、大丈夫。今は・・・夕食の時間?」

 カレッジが頷く。ダイヤモンドが小さく音を立てた。

 はそれを見て、少し考え込む。

 そして立ち上がった。

「ちょっと図書館に行ってくるね」

 柔らかく微笑み、掛けられていたローブを羽織った。

「ん? じゃあ俺も・・・」

 同じように床に降りたカレッジを抱き上げ、ソファへ戻す。

「・・・ごめん、一人で行かせて」







 司書の先生も食事中なのだろう。

 図書館には、微かなランプの明かり。そして早くも夕食を終えたらしい少数の生徒。

「どこだろう・・・薬草学じゃなくて・・・」

 その明かりを頼りに、は棚の間を探して回った。





『ホグワーツの歴史』

 以前、父:クリストファーに教えてもらった本の名前。

 これを読めば、少しは理解できると思ったのだ。

「ホグワーツ」の力が、何の役に立つのか。

 何が可能で、何が不可能なのか。

 今日だって、そう。

 自分の力をきちんと理解していれば、を危険な目に遭わせることもなかった。

 リリーが涙を見せることも無かっただろう。



―――ひとつを乗り越えて、後悔すべき事はそこなのだ。

 今までのように、自分の非力を嘆くだけでは何も進まない。

 使い魔にほとんどを頼ったとはいえ、自分でも出来ることがあると知った今。

 もう、甘えてなどいられない。

 少しでも知識を身につけ、少しでも力をつけなければ。



 だからこそ、カレッジに言いたくはなかった。

 本を持って談話室に帰れば、すぐに気付かれる。

 しかし、は決意していた。

 今もこれからも、このことに関しては彼の助けは決して借りない。

 これくらいのことが出来なくて、どうやって学校を守るというのだろう。





 そうはいうものの、どこから探し始めればいいやら、皆目見当もつかない。

 何しろ蔵書量が半端無いのだ。

 角を曲がっても本、上を見ても本、下を見ても本、右も、左も本。

 は一人途方に暮れる。

 たかが図書館、と侮っていたのかもしれない。

 取り敢えず、関係がありそうな魔法史の棚を探し始めた彼。

 しかしそれすらもさっぱりだ。

「ジェームズとシリウスは図書館なんか来ないしなぁ・・・

試験の時は流石に苦労しそう・・・」

 今度は二人も誘って来ようと考えた。

 ピーターに勉強を教えるために来るのもいいかもしれない。





 上下左右に首を動かすのも疲れてきた頃、はようやく魔法史の棚を発見した。

 喜びも束の間、今度は肝心の本を探さなければならないことに気付く。

 小さな溜め息をついて、は少し首を回した。

 気合を入れなおして、上の棚を見る。

 そして顔を上げた時、後ろに居た誰かとぶつかってしまった。

 ぶつかった拍子に、本が落ちる音が聞こえる。

「あ、ごめんなさい・・・・・・スネイプ?」

 ぶつかった相手を見て、は目を瞬く。

 そこではセブルスが、同じように驚いた顔をしていた。



 彼が落とした本を拾う

「本当にごめんね。はい、本」

「ああ、こちらこそすまない」

 セブルスも謝りながらそれを受け取る。

 そして不思議そうな顔をした。

「そんなに必死に、何を?」

 一瞬きょとんとして、すぐには苦笑する。

「ちょっと探し物を」

「手は足りているか? ポッター達はどうした?」

「僕が一人で来たんだ。ここに居ることも知らないと思うよ」

 ランプの火が揺れる。

 少しの間を見つめ、セブルスは息を吐いた。

「手伝う。何の本を探してるんだ?」

 はまじまじと彼を見てしまった。

 目を細め、確信する。



―――彼、本当は優しいんだ―――



 ひねくれているように見えるのは、ただ単にシャイなだけなのかもしれない。

 本当は、こんなに優しくて親切で。

 ほんの少し、感情表現が下手で。



 皆の知らないセブルスを見れたような気がして、はふっと微笑んだ。

―――なんだか、嬉しい

 一方のセブルスは、訳が分からないといった表情だ。

 は、質問されていたのを思い出した。

「えっと、『ホグワーツの歴史』って本、探してるんだけど・・・知ってる?」

 それを聞いたセブルスは、瞠目し、手に持っていた本を差し出した。

「・・・拾った時に、気付かなかったのか?」

 あまりに驚いて、は本を見たまま固まってしまった。

『ホグワーツの歴史』

 セブルスの言う通りだ。

 何故、先程本を拾った時に気付けなかったのだろう。

「全然・・・気付かなかった・・・」

 驚愕のまま答えると、セブルスが口の端を上げて笑った。

「意外に抜けているんだな、ホグワーツ」

 からかわれたことに拗ねたような顔をしてみせ、は言う。

「さっきは頭が一杯でね。

それより、僕を苗字で呼ぶとややこしくない? でいいよ」

 すると、セブルスは突然すまし顔になった。

「お前が苗字で呼ぶからだ」

 は呆気にとられた。



「あはははは!」

「なっ、そんなに笑うことないだろう!」

「だって・・・まさかそんな理由だなんて思わなかったから・・・

あーおかしい!」

 セブルスは拳を握り、赤くなって小刻みに震えている。

 滲む涙を手で拭いて、は尋ねた。

「ごめんごめん。その本、どこにあったの?」

「その謝罪には全く誠意が感じられないがな。

ひとつ向こうの棚だ。なんならこれを持っていくか?」

 差し出された本の表紙をじっと見る。

「・・・いいの?」

「ああ、とくべつ読みたかった訳じゃない。お前が読んだ後でも充分だ。」

 本を受け取って、セブルスを見上げる。

「ありがとう・・・」

「礼には及ばない。読み終わったら貸してくれ」

 はパッと表情を輝かせる。

「勿論だよ」

 柱時計がボーンと音を立てた。

「閉館かな?」

「時間的にそうだな。僕は寮に戻る。早く出ないと追い出されるぞ」

「うん、そうだね。僕も戻ろうかな」

 二人は図書館の扉の外に出た。

 グリフィンドール塔とスリザリン寮は方向が違うので、必然的にここで別れることになる。

「じゃあ、なるべく早く渡しにいくから」

「別に遅くてもいい」

 そっけなくセブルスは答えた。

 は苦笑する。

「とにかく、読み終わったらすぐに持っていくね。

ほんとにありがとう。おやすみ、セブルス」
 
 名前を呼ばれ、セブルスもほんの少し微笑んだ。

「ああ」







 学校中にかぼちゃの匂いが漂う。

 廊下のランプも、大広間のろうそくもお化けかぼちゃに。

 そしていたるところで、ハグリットが育て上げた巨大なかぼちゃが迎えてくれる。

 今日はハロウィーンだ。





 授業が全て終わった後、談話室に向かう途中で、が急に声を上げた。

「あっ!」

「何?」

 目を瞬かせ、リリーが驚く。

 は懐中時計を取り出した。

「大変大変、忘れてた!あたし行くところがあるの。

みんな、先に戻ってて。時間かかりそうだから、ね?」

 ジェームズが軽く首を傾げる。

「行くところ?、先生に呼ばれてるわけじゃないだろ?」

「つーか同じ授業受けてんだから、それくらい分かるだろジェームズ」

 シリウスが素早く突っ込んだ。

 軽く吹き出すピーター。

 の腕の中からカレッジが身を乗り出す。

「手紙でも出すのか?」

 彼の問いに、はきょとんとしていたが、いつものようににこっと笑い、頷いた。



 それを見たは、ぞっとして鳥肌が立つのを感じた。

 確かに、あれは彼女の「笑い方」だ。
 
 希望に満ちているように見える彼女の笑顔。

 だが、ホグワーツの血は、騙せない。

 今感じた、「違和感」。

 いつでも心から笑ってはいない、内に何かを秘めた笑い方。

 最初に出会った時には気付かなかった。

 ささやかな矛盾などではない。

 何かを踏み外し、大きな間違いを犯す音。



「うん、そんな感じ。夕食までには戻るから、待っててくれる?リリー」



―――君は、何を隠してる?―――



「ええ勿論よ。でも、早く帰ってきてね」

「ホグワーツのハロウィーンはとにかく凄いって噂だよ。

とくに夕食が。だから遅れないでね、



―――皆、何も気付かないの?どうして・・・―――



「うに、わかってるよぅ」



―――どうして君は、そんな風に笑い続けていられるんだ?そんなに大きなものを抱えて―――



「じゃ、行ってくるね」



―――その壊れかけた心に―――



―――その諦めかけた瞳に―――



―――君は 今まで 何を映していた・・・?―――



「どうして・・・」

 の呟きは、カレッジにしか聞こえていなかった。







 ホグワーツから遠く離れた小高い丘の上。

 巨大な屋敷の裏の、その丘に、喪服の男が立っていた。

 手に持つのは、薔薇の花束。

 白い墓石に、映える紅。

 男は、祈るように目を閉じ、胸に下げた金のロケットを握った。



 もっと、他に術はなかったのか

 何故、守ってやることができなかった?



 後悔ばかりが心を埋める。

 そして思い出すのは、輝かしい金の髪。

 懐かしい琥珀色の瞳。

 笑顔。

 声。



 愛した彼女は、もう居ない。



 どれだけ声を嗄らして叫んでも、どれだけ世界中を駆け回っても。

 彼女は、どこにも居ない。





 膝をついた男と、白い墓石。

 その周りを囲む小さな花が、揺れた。

 巻き起こる、風。

 顔を上げると、彼の置いた花束の隣に、一輪の薔薇が置かれていた。

 茎に結ばれた黒いリボンを見て、男は顔を歪める。

 その薔薇を手に取り、ぐっと強く握り締めた。

 棘が手に刺さる。

 血の滲む、手の平。

 男は、それを気にかけることもなかった。

 虚空を睨み、低い声で、呟いた。



「・・・・・・トム・・・・・・」







 北塔の屋上に向かう大きな階段。

 そこに差し掛かったところで、は足を止めた。

 ローブの中から朝来た手紙を取り出し、目を落とす。

 差出人はウィリアム・の父親だ。



 本当は、忘れてなどいなかった。

 もう一度、懐中時計に目をやる。

『一番高い塔の屋上』

 ウィリアムからの手紙に書いてあったこれが何を意味するのか、はよく分かっていた。

 けれど、屋上に上がることは出来なかった。

 最後の階段を前に、足が竦む。



 今、ウィリアムは母の墓前で祈りを捧げている筈だ。

 彼は校内で空に一番近いところを思い出し、この手紙を書いてくれたのだろう。

 けれど、は屋上につながる階段を、上ることができなかった。

 いつもそう。

 母:シャロンの命日でもあるこの日は、いつも「階段」に怯えてしまう。

 上りきったところに居る母親は、いつだって哀しそうで。

 そんな母を見るのが、いつの間にか怖くなっていた。



 仕方なく階段の前で手を組む。

 目を瞑り、気を落ち着けた。







 階段の前で何かを祈る彼女。

 リーマスは、声を掛けるのを躊躇った。

 飛行訓練のお礼を言うためにありったけの勇気を振り絞ってきたのだが、当のが取り込み中だ。

 甲冑の陰に隠れ、彼女の様子を窺う。

 ふと、が薄く目を開けた。

「運命・・・なのね・・・」

 怪訝そうな顔でリーマスは目を細める。

 視界の中で、は膝をついた。

 ローブがふわりと舞い上がる。

「全部、そうなんでしょ・・・だったら・・・」



―――だったら、もう、逆らわないから―――



 唇だけが微かに動いた。

 リーマスは気付かれないように甲冑の陰を出る。

 そして足早にその場を立ち去った。

 今見たことは全て、胸に秘めておこうと誓って。







「おい、どうしたんだよ」

「ちょっと考え事」

 カレッジに短く答え、は本を抱きなおした。

 セブルスに本を渡しに行くため、親切な肖像画の後を追い、スリザリン寮への道を辿っている。

 しかし、頭の中は先ほどののことで一杯だった。

 どうしても、忘れられない。



 あれでは、何かの拍子に彼女の心は壊れてしまう。

 それほどまでには追い詰められていると、は確信していた。

 人間の感情を量るのはお手の物だ。

 こんな時は、人外のものの感情にまで敏感な反応を示す自分の感受性に感心する。

 だからこそ、血が反応して困ることも多いのだが、非常に頼りになる。

 けれど、その感情がどこから来るのかは分からない。



 悶々と思いつめていると、またもや人にぶつかってしまった。

 考え事をしながら歩くのはやめようと、密かに誓う。

 どうやら向こうも考え事をしていたようで、お互いに少しぼんやりしてしまった。

 謝ろうと相手を見て、は小さく声を上げた。

「リーマス・・・ごめん、大丈夫?」

 心配そうに顔を窺う。

 リーマスは困ったように視線をさまよわせ、やがて小さく頷いた。

 安堵の溜め息を漏らす

 思わず微笑む。

「良かった」



 リーマスはの笑顔を見て、苦しそうな顔をした。

 引き込まれてしまいそうだったのだ。

 彼の、心に。



 この何日かで、彼らと友達になりたいという思いは強くなっている。

 彼らなら自身の秘密も受け入れてくれると、微かに希望を見てしまうのだ。



―――だが、もしその希望が崩れたら?



 リーマスはごめん、と呟いての横を通り過ぎた。

 拳を握る。



―――怖い・・・―――





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